五月二十日(晴)

 ほの暗いリビングに喘ぐ声が洩れている。それに乱れた息遣いも。
「ふう……んっ……よ、傭一……っ」
「柳、もうべたべただ」
「ああ……っ……そこ、は……っ」
「どうしたんだ……今夜はすごく感じるんだな」
「……わから、ない……んっ……よ、いちは……こんなの嫌か……」
 ヨウイチは言葉ではなく態度で示した。ヤナギの喘ぎに切迫した響きが加わり、白い脚が常夜灯の灯りの下で揺れている。広い肩にしがみつく細い指。すすり泣くような切ない声に荒い呼吸が交じり合う。
 私は寝場所の中で自分の耳を両方伏せたが、無論それで聞こえなくなる訳ではなかった。
 どういう経緯か不明だが、彼らはリビングのソファの上で事を始めてしまったのだ。お行儀が悪いといえばそうだろうが、此処は当然彼らの部屋だし、何をしようと基本的には自由である。それにこういう事は一旦火が点いてしまうと、容易に止められるものではない。他の人間は知らないが、少なくとも彼らに関してはそうだった。
「よ……いちっ……深……っ」
「苦しいか」
「まだ……っ……だい……」
 声が途切れ、替わりに洩れるのは激しい呼吸。
 いつにもましてヤナギは脆く、刺激に弱くなっているようだった。
 それが更にヨウイチの行為を煽り、彼らはリビングで一度欲望を吐き出した後も止まらず、再び寝室に場所を移して交わり続けていたようだ。
 そして翌朝。私のキャットフードを皿に入れてくれたのはヤナギではなくヨウイチだった。
「その……悪かったな、柳。俺が調子に乗り過ぎた」
「俺は平気だ」
 良く晴れた日曜の午前六時。ヤナギは普段と変わらずに同じ時刻に起きてきたが、どことなくだるそうだった。
「うん、そうだな。そうだといいが……とりあえず、俺が朝食の支度をするから」
 ヨウイチはヤナギの為には紅茶とトースト、自分用にはトーストとコーヒーを用意した。ヨウイチは結構雑で部屋を散らかすのは得意だが、料理の手際は良い方だ。まもなくきつね色に焼き上がった食パンに溶かしバターをたっぷりかけた美味しそうなトーストが出来上がる。
 卵や野菜の料理が無いのは、おそらくヤナギがそれらを食べないからだろう。昼食や夕食はともかくも、ヤナギは毎朝この二品しか口にしない。
 今朝は食事の後片付けも部屋の掃除もヨウイチが独りで全部請け負った。
「俺も手伝う」
「いいんだ。柳はソファに座っていてくれ」
 ヤナギは休みの日でも白いシャツとグレーのスラックスを身につけている。ネクタイはさすがにしないが、デニムの上下を着込んでいるヨウイチよりも遥かに端然として見える。
 ヨウイチの言いつけどおりヤナギはソファに腰を掛けたが、背凭れに寄りかかることはせず、動くヨウイチを目で追っている。そうしてヨウイチはすることを済ませてしまうと、ヤナギの隣に腰を下ろした。
「今日の昼飯はピザの出前を取らないか」
「朝食を摂ったばかりで、もう昼の段取りか」
「うん、まあ……そうしておけば、柳もゆっくり休めるだろう」
「俺は平気だ」
 ヤナギが先刻と同じ言葉で返事する。
「それはそうだろうけれど……ちょっと此処へ凭れてみないか」
 ヨウイチがヤナギの側にある自分の肩を軽く叩いた。
「何も急ぎの用事は無いんだ。少しの間だけそうしてみないか」
「うん。用事は無い。俺は傭一の肩に凭れる」
 ヤナギの上体が斜めになった。
「ついでに目も閉じるといいぞ。ほんのしばらくの間だけだ」
 言われるままにヤナギの瞼が閉じていく。朝日の差し込むリビングは穏やかな静けさに満ちている。
 私は伸びをし、毛づくろいを始めたが、まもなくヤナギから聞こえる呼吸が深くゆっくりしたものに変わっていたのに気がついた。
 私は驚いて彼らの前に足を運んだ。ヤナギがソファでうたた寝をする。これは滅多に無いような出来事だ。
 まじまじと見上げていると、ヨウイチと目が合った。私の視線を受けながらこの男は苦笑したが、どこかばつが悪そうでもある。その表情を見た途端、ふっと悪戯心が起きた。
 私はソファに身軽く飛び乗り、ヨウイチの手の甲を引っ掻いた。結構痛かったと思ったが、ヨウイチは声も出さず動きもしない。
 ヤナギの眠りを護る為にそうしたのだ。
 私はそれが判ったので、赤い蚯蚓腫れが浮き上がった手の甲を何度か舐めた。
 加減が出来ずにヤナギを疲れさせたのはこれで帳消しにしてやろう。本人も充分反省しているようだ。
 時は五月。麗らかに晴れた朝、私はヨウイチの膝の上に自分の前脚と頭を載せた。
 ヤナギは寝ている。そうして私も少し眠い。だからヤナギが目覚めるまでは、この男をクッションにしておこう。
 ヤナギにとっても私にとっても、此処が最も安心出来る場所だから。

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